奈良県内の寺社を紹介。

奈良にある代表的な寺社

薬師寺

薬師寺

奈良県奈良市西ノ京町に所在する寺院であり、興福寺とともに法相宗の大本山である。

興福寺

興福寺

奈良県奈良市登大路町にある、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。

東大寺

東大寺

奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院である。

西大寺

西大寺

奈良県奈良市西大寺芝町にある真言律宗総本山の寺院。

春日大社

春日大社

中臣氏の氏神を祀るために768年に創設された奈良県奈良市にある神社。

橿原神宮

橿原神宮

奈良県橿原市の畝傍山の東麓、久米町に所在する神社である。

金峯山寺

金峯山寺

奈良県吉野郡吉野町にある金峰山修験本宗の本山である。

吉野神宮

吉野神宮

奈良県吉野郡吉野町に鎮座する後醍醐天皇を祭神とする神社。

円成寺

円成寺

奈良市忍辱山町にある真言宗御室派の仏教寺院。山号は忍辱山、本尊は阿弥陀如来。

薬師寺

680年、天武天皇が菟野讃良皇后(うののさららひめみこ)(のちの持統天皇)の病気平癒のため発願され、創建された法相宗の大本山。創建当時は藤原京に建てられたが、718年に平城遷都に伴い現在の場所に移転。造営は808年頃まで続いた。しかし、数度の災害と1528年の兵火により、当時の建造物は東塔のみが現存。金堂は1976年に、西塔は1981年に、中門は1984年に、回廊は1991年に一部がそれぞれ有縁の人々のお写経勧進によって復興されている。

興福寺

710年、平城遷都の際に、藤原不比等(ふひと)が飛鳥にあった厩坂寺(うまやさかでら)を移築し、興福寺に改名。法相宗の大本山。藤原鎌足の病気平癒のため、夫人の鏡大王が京都山科の私邸に建立した山階寺が厩坂寺(うまやさかでら)の前身となるため、興福寺は山階寺→厩坂寺(うまやさかでら)→興福寺と2度名前を変えている。藤原氏の氏寺として藤原氏の隆盛とともに寺勢を拡大し、奈良時代には南都4大寺、平安時代には南都7大寺の1つとして栄え、以後鎌倉時代には大和守護職を勤めるまでになる。しかし、戦国時代に入ってから徐々にその勢いは衰え、1717年には北円堂、東金堂、食堂(じきどう)以外の伽藍を消失。それ以後、徐々に現在の伽藍に復興される。

東大寺

728年、聖武天皇が皇太子供養のため建立した金鐘寺が東大寺の始まり。華厳宗大本山。741年に聖武天皇が護国信仰に基づいて国分寺の建立を命じられた際、金鐘寺を大和国分寺として金光明寺と称した。743年になり聖武天皇が大仏造顕の詔を公布、745年に金光明寺にて造営が開始された際、東大寺となった。大仏は752年に開眼供養が行なわれたが、大仏殿や講堂などの伽藍が完成したのは789年になる。その後1180年に平重衝によって、1567年には松永久秀によって伽藍が焼失。現在の伽藍は1709年に再建されたものである。

西大寺

765年、称徳天皇が鎮護国家と平和祈願のため7尺の金銅四天王の造立を発願されたのが、当寺のはじまりである。南都七大寺の一つに数えられ、当初は、110もの堂宇が立ち並ぶほど栄えた。平安時代に火災などによって一時衰退したが、1235年、叡尊上人が当寺に入寺して再興し、密・律兼修の根本道場として発展した。現在の堂宇は1502年の火災で焼失したのちに、江戸時代に再建されたものである。

春日大社

春日大社は、平城京の守護の為に創建された御社で本殿向って右(東)から、第一殿 茨城県の鹿島神宮から迎えられた武甕槌命(タケミカヅチのミコト)、第二殿 千葉県の香取神宮から迎えられた経津主命(フツヌシのミコト)、第三殿 天児屋根命(アメノコヤネのミコト)と第四殿 比売神(ヒメガミ)は大阪府枚岡(ひらおか)神社から、それぞれ春日の地に迎えて祀られている。奈良時代の神護景雲二年(768)、現在地に四所の神殿が創設されたのが始り。藤原氏の氏神として有名。境内に含まれる主なものは、標高295mの御蓋山全域の山林部と、社頭から西方、飛火野、雪消の沢一帯の芝原、若宮おん祭の御旅所(おたびしょ)から一の鳥居に至る参道の地帯を含む平野部で、これら全域は昭和六十年国指定の史跡である。

橿原神宮

橿原神宮は、御祭神・神武天皇が畝傍山の東南・橿原の地に宮を建てられ即位の礼を行われた宮址に、明治23年に創建された。 第一代の天皇であり我が国建国の始祖となられた神武天皇と、(ひめたたらいすずひめ)皇后が祀られている。 神武天皇は、皇孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)がこの国土に降られた日向(ひゅうが)国高千穂の宮におられたが、天下の政治(まつりごと)を行うべくはるばる東遷の途に立たれた。途中幾多の困難に遭われたが、ついに大和の国を中心とした中つ国を平定され、畝傍(うねび)の橿原の宮において即位の礼をあげて、国の基をたてられた。

金峯山寺

吉野山から山上ヶ岳(大峯山)に至る金峯山は、万葉の昔より聖地として知られ、多くの貴族が足跡を印している。白鳳年間(7世紀末)修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)がこの金峯山を道場として修行され、蔵王権現を感得し、そのお姿を桜の木で刻み、お堂を建ててお祀りした。これが蔵王堂であり、金峯山寺(きんぷせんじ)の草創である。以来、金峯山は、修験道の根本道場として広く万人に尊崇され、多くの修行者が宗派を超えて入山修行している。また、役行者が蔵王権現のお像を桜の木で刻んだことから、桜が保護・献木されて吉野山が桜の名所となり、人々の心の安らぎの場となるに至ったのである。現在の金峯山寺は金峯山修験本宗の総本山であり、全国教信徒の信仰と教化の中心となっている。

吉野神宮

明治天皇は後醍醐天皇の御偉業を深くお偲びになられ明治22年吉野神宮の御創立を仰せだされた。次いで明治25年に執り行われた御鎮座際に勅使を遣わされ御霊代を御奉納されると共に、後村上天皇がお作りになられたと伝えられ、それまで吉水神社(明治7年までは吉水院・南朝の行宮)に奉安されていた後醍醐天皇の御尊像も吉野神宮の本殿に奉還された。

円成寺

古都奈良の東北、般若坂から国道を東へ進んで、中の川を通り、山間の樹林をぬって、平清水、大慈仙を過ぎて行くと、左手木立の中に、名勝の浄土式庭園が現れる。そこが忍辱山(にんにくせん)円成寺(えんじょうじ)である。桧皮葺きの楼門、舞台付寝殿造りの阿弥陀堂(本堂)は共に重要文化財の遺構であり、小さな春日堂・白山堂も日本最古の春日造り社殿として国宝に指定されている。平成2年に再建された多宝塔には、運慶が25歳頃に刻んだ第一作の 国宝・大日如来像をお祀りしている。

奈良を満喫しよう。

更新情報・お知らせ

2015/06/11
東大寺
2015/04/20
西大寺
2015/02/07
春日大社
2015/01/13
橿原神宮
2014/12/02
金峯山寺
2014/09/12
吉野神宮
2014/07/21
円成寺

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